2012年6月7日木曜日

宗教とは何か 2 ~脳に見る貪瞋痴の基盤


全ての生物個体は、いわゆる『利己的な遺伝子』の発現の結果としてこの世に存在しその生を営んでいる。その根底には『排他と利己』という強力なコマンドが存在する。彼の全ての行動原理は、正にこのコマンドによって貫徹されていると言ってもいい。

人間もまたその例外ではない。それはあらゆるスポーツやゲームを見れば一目瞭然だろう。例えば野球やサッカーを見てみよう。そこでの至上命題は敵の得点をいかに妨げ、自分がいかに得点をあげるか、という事に尽きる。分かりやすく言えば、他者に得をさせず、自分が得をする。正に排他と利己の人生ゲームだ。

人々はその戦争シミュレーションを観戦して興奮し、自らを同一化した贔屓チームの勝利には雄叫びを上げて歓喜する。

この排他と利己という本能的な情動を、正に推進し強化統合するためにこそ、宗教が生まれ発達し続けてきた事実は、未開氏族の氏神の機能を見れば一目瞭然だろう。

その根底にあるのは食と性を巡る競争原理だ。植物のようにエネルギーの自給システムである葉緑体を持たない動物は、自らの意思で環境世界を探索・行動し食料を確保しなければならない(ゆえに『動』物になった)。また有性生殖を始めた多細胞動物たちは、常により優れた配偶者を獲得するために様々な策を凝らし、戦う事を余儀なくされている。

その戦いのための情報収集器官として発達したのがいわゆる五感、眼鼻耳舌(身)の感覚に他ならない。集められた情報を集約してひとつの行動『意』思にまとめ上げるために大脳が生み出され、私たちのこの『意識』が顕在化した。

そのように考えれば、私たちの脳が、正に『排他と利己』の権化であるとしても何の不思議もないだろう。

そしてこの排他と利己という衝動には、具体的な脳器官という器質的な基盤が存在する事が明らかになっている。それが、いわゆる大脳辺縁系と呼ばれるものだ。

ヒトの中枢神経システムは、構造的・機能的に見て大きく3つの部分に分かれている。体性感覚の下部中枢である脊髄とその延長上にある下部脳幹と小脳。その上に位置する大脳辺縁系。それを中心に包み込むように丸く発達した大脳だ。

脊髄と呼吸中枢である延髄を中心とした下部脳幹は別名『植物的な脳』と呼ばれる。それはこの中枢が、先に述べた排他と利己の衝動を持たない静かでニュートラルな中枢だからだ。それは外部環境の中で行動するための中枢ではなく、身体という内部環境を維持管理するための中枢だ。大脳に宿る意識はいわば対外行動意識であり、脊髄・下部脳幹に宿る意識は内部統制意識であると言っても良いだろう。

橋(きょう)は延髄と共に下部脳幹を構成するが、この橋にしがみつくような形で後頭部に小脳が突き出している。これは別名達人の脳とも言われ、人間的なあらゆる精緻な運動の根拠となっている中枢だ。基本的にこれも非情動性の中枢に分類される(いわゆる『ゾーン』の中枢だ)。

そして上部脳幹から始まり大脳辺縁系を中心とした領域で、正に私たちの排他と利己という衝動は発動する。それは進化史的に見て大変古い動物の脳だ。それは仏教的な文脈では『 貪瞋痴=マーラ 』の座と言ってもいい。

貪瞋痴=マーラの座は大脳辺縁系である

その衝動は、基本的に『快と不快』『好きと嫌い』『喜びと悲しみ』『愛と憎』『恐怖と安心』『怒りと慈しみ』などの両極性で成り立っている。この大脳辺縁系が同時に食と性の中枢であるのはその性質上当然の事だろう。

この排他と利己という辺縁系からの指令に基づいて、五感からの情報を分析し瞬間に判断し行動するのが大脳の役割になる。例えばあるものを見たり聞いたり嗅いだり味わったり触ったりした瞬間、その情報は辺縁系に送られ、すぐさま快と不快、つまり利己性にとってプラスかマイナスか、という判断がフィードバックされる。その判断と同期した自我意識はすぐさまその対象に対して情動を覚える。この情動反応こそが、パーリ仏典で言う『サンカーラ』に他ならない。

つまり仏教的な文脈で言うサンカーラ、あるいは象徴的にまとめた『貪瞋痴』は明白な辺縁系のファンクションなのだ。『貪瞋痴』には明確な器質的基盤がある事を、第一にここで私たちは理解しておくべきだろう。

大脳は知性の脳とも言われるが、常に辺縁系からの強力なコマンドの影響下に置かれており、その衝動をコントロールするのは原理的にも難しい。その困難をある程度可能にしたのが、私たちが持つ発達した前頭葉であり、特に前頭前野と呼ばれるところに人間的な『理性』の座があると言われている。

全ての個体が持つ排他と利己という衝動は、その性格上常に他者との間にコンフリクトを生み出す。そこには常に様々な利得の割合によって勝者と敗者が存在する。進化の過程でその社会性を強めた人類にとって、動物的な無分別な利己性の発揮は、明らかに自他共に生存上不利益をもたらす場合が多くなった。

そこで人類は、大脳の発達と共に辺縁系に発する動物的衝動をコントロールする力、すなわち利己心を抑制し他者の利益をも考えて協力する理性、そして自分だけでなく他者をも愛する情性を獲得していった。そしてそれは宗教が芽生え、『戒』や『隣人愛』という倫理体系が顕在化していくプロセスでもあった。


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