2012年6月16日土曜日

沐浴の瞑想的なはたらき

インドでは、聖なる河で沐浴をする。

早朝、たとえば母なるガンジス河の岸辺に向かい、
ガートを降り、河に入り、腰ほどの高さまで水に浸かり、陽の出を待つ。

やがて曙光の煌めきと共に彼は合掌し、鼻をつまんで息をこらえ、
垂直にしゃがみこんで、頭まで水に浸かり、そして立ち上がる。
垂直にしゃがみこんで、頭まで水に沈み、そしてまた立ち上がる。

この動作を、2回3回と少し足早に繰り返したのち、
立ったまま息ごらえを解いて、大きく息をつく。

そして生まれたての太陽に向かって再び合掌した彼は、
そこでガヤットリー・マントラを唱えるのだ。

体性感覚とは、脊髄・脳幹・頭頂葉を貫く一本の軸柱だ

母なる聖河の水中に身を没している姿は、
母胎の羊水に包まれた胎児をあらわしている。

水面を突き破って、頭から空気中に飛び出す姿は、
産道を通って誕生する瞬間をあらわしている。

空中に出て呼吸を開始する姿は、
正に産声を上げる新生児の姿をあらわしている。

そこでおぎゃーという泣き声の代わりに詠われるガヤットリー・マントラ。
それは『覚り(神)の光が与えられますように』という祈り。

正式には、ガヤットリー・マントラは108回唱えられ、
煩悩の数と同じだけ唱えられたこのマントラの誓願によって、
瞬間、人の心は煩悩から解き放たれる。

再開される呼吸はアナパナ・サティであり、
静かに皮膚を流れ落ちる滴は、
体性感覚のヴィパッサナーを現している。

インドでは日々の生活の中で、常に様々な瞑想実践がシミュレートされている。

シッダールタが苦行の森を捨て、ナイランジャー河の畔で沐浴した時も、
まったく同じシミュレーションが働いたのだろう。

そして彼は、その作用機序に気がついた。

そして、彼は菩提樹の下に禅定した。


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